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2019年9月の一枚 人々の営みと利根川の水を考える3日間

横利根閘門(撮影:2019.9.20 木村)

  9月20日から22日にかけて、第46回利根川研修会が開催されました。今年は利根川の下流部を巡る3日間で、河口から約90 km付近の田中調節地から利根川河口まで下り、さらには流域を越えて利根川の水を農業用水などに利用している千葉県の九十九里地域まで足を伸ばしました。9月上旬に千葉県を襲った台風15号の被害がまだ癒えぬなか、天気予報では台風17号の接近による大雨も報じられていましたが、幸い、研修期間中は雨に降られることなく無事に予定のコースを踏破しました。今回の研修会には大学、研究機関、行政、企業、学生ら33名が参加し、いかにも利根川研修会らしい、活発な意見交換を楽しむことができました。
 写真は利根川河口から約40 kmの左岸に合流する横利根川に設置された横利根閘門です。この閘門は、利根川の洪水の逆流による霞ケ浦沿岸域の氾濫を防止するとともに、水位が高い状態でも舟運の便をはかる目的で、1900(明治33)年から始まった利根川改修工事の一環として、1921(大正10)年に完成しました。当時の最新技術を用いて日本人技術者のみで建設されたこの閘門は、近代化遺産としての価値が高く、2000(平成12)年に重要文化財に指定されています。
 江戸時代、太平洋から利根川、江戸川、新川、小名木川、日本橋川を経て江戸に至る河川舟運は、最も重要な物流ルートのひとつでした。そして、横利根川は、北浦、霞ケ浦と利根川、江戸川を結ぶ重要な役割を果たしていたことから、大正期の河川改修に際しても、閘門が設置されたものでした。横利根閘門では、1935(昭和10)年頃までは年間5万隻にもおよび船舶の航行があったということです。完成後約100年が経過したいまも現役の閘門として釣り船を中心に年間1~2千隻程度が利用しているということですが、その存在は、かつて舟運で結ばれた千葉・茨城の文化圏をいまに伝えているようです。
 

【おまけの六枚】 私が選んだ利根川下流六景(撮影:2019.9.20~22 木村)
 
 上左:利根川右岸の千葉県香取市にある「水の郷さわら」。利根川の高規格(スーパー)堤防上に設置された川の駅と道の駅を兼ねた複合施設で、防災教育展示、観光船乗り場、特産品直売所、フードコートなどを備えた地域の交流拠点です。直轄の河川事業においてPFI手法を採用したはじめてのケースでもあります(写真は「水の郷さわら」前の水辺空間)。
 上右:1971(昭和46)年、利根川河口から18.5 kmの地点に完成した利根川河口堰。総延長は約834mあり、塩害から地域を守るとともに首都圏に水道用水、工業用水、農業用水を供給する役割を果たしています。
 中左:銚子ポートタワーからみた利根川河口。信濃川に次いで日本第2位の流路延長322 kmを有する利根川が太平洋に注ぐ地点の様子がよく見えます。天気が良ければ、銚子の街並みの背景には鹿島港や筑波山、富士山などが遠望できるそうです。
 中右:銚子市内の飯沼観音にある飯沼水準原標石。ただの石にしか見えませんが、1872(明治5)年に来日したオランダ人技師リンド(Lindo)が設置し、日本における河川測量の原点となった歴史的・学術的価値の高いものです。
 下左:千葉県旭市の刑部岬から見た飯岡の街並み。2011(平成23)年の東日本大震災では、この飯岡地区に海抜7.6mに達する大津波が押し寄せ、旭市では死者・行方不明者16名、被災住宅約3,700世帯に及ぶ大きな被害が出ました。
 下右:江戸後期、下総国長部村(現在の千葉県旭市)を本拠に活躍した農村指導者・大原幽学は世界で初めて「農業協同組合」(先祖株組合)を作った人物として知られています。写真の「耕地地割」は、幽学が行った耕地整理の地割をほぼそのまま残しているといわれています。
 
国土文化研究所 研究員 木村達司

【参考】
国土交通省関東地方整備局利根川下流河川事務所:100年の歴史を誇る横利根閘門(パンフレット)

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